正直どうでも良いとは思いますがもし僕に少し興味を持って頂いた方に読んで頂けたらと思います。
僕の若かりし根暗でダメダメな自分の過去を・・
プロフィールの掘り下げです。
相当暗い子だったとは思いますが吐き出してしまいます(笑)
では・・
ちょっとウィキペディア風に(笑)

1977年6月14日産まれ
父、美容師
母、メイクアップアーティスト
の次男として産まれる
なんとこの時、女の子が産まれるつもりで「さやか」という名前が決まっていたのに股間にいらないものがついていた為、急遽名前を作り直す
急遽の名前変更で聡明な子になりますようにとの事から
聡(そう)となる
産まれたての頃はおしっこをしても泣かず育てやすい赤ちゃん
その頃いつも「たーたー」と喋っていたらしい
その頃に身内からは既に自分たちが決めた名前「そう」というのは忘れたばりに
「タータ」「タータン」と呼ばれるようになる
幼少期

(1才、さやかという女子希望の母が女の子用の水着を着せる)
その後自我が目覚め始め、末っ子という特性を活かしみんなに怒られない事をいい事に家では暴君ばりにわがまま無茶振りを繰り返す
TAA4才、食べに行ったご飯屋さんで「まずい」を連呼
父の逆鱗に触れ思いっきりぶっとばされる
初めて人に怒られ(ぶっとばされ)て自我の抑制を覚え始める
幼稚園時代は雑司が谷の音楽大学付属幼稚園に入る
色々な楽器を試すが結局身にならず最後は旗に回される
それでも行進を間違える
バイオリンも習ったが好きになれず授業の前はいつも
「お腹が痛い」を連呼
結局何もできないまま卒園を迎える

小学校
この頃からあだ名が「青ケン」になる
青は青木なので分かるがケンは謎
6年間身長がたいして伸びず前からトップ3を常にキープ
常に集中力がなくいつも注意されるトップ3をここでもキープ
もちろん勉強も出来るわけなくここでも出来の悪いトップ3をキープ
小学校界のトリプル3かと思わせる活躍ぶり
小学校最初の頃の通知表を父に見られ思いっきりぶっとばされる
それ以来一度も成績表を見せていない
4年生になる直前、一年間岩井の林間学校へ住み込みで行くという企画があり面白いと感じたTAAは親友を誘い一年間行く事を決意
ところが行く当日朝、急にTAA行く事をキャンセル
理由は「眠いから」
TAAから誘ったにも関わらず親友を1年間岩井の林間学校へ通わせる
ちなみにその親友は今でも親友でいてくれているという奇跡
クラブ活動はやはり飽きっぽくバレー部、もう一つは何か忘れ、結局最後は伝承遊び部という謎の部に入部
何故か部長まで勤める
この頃美容師になりたいとは全く思わない
結局パッとした小学校生活は何もなく卒業

中学校

あだ名は引き続き「青ケン」
勉強は相変わらず出来が良くならず後ろトップ3をキープ
更にTAAの学年がその年ずば抜けて出来が良い学年になってしまい文京区で偏差値3位を記録
TAA、更にどんどん落ちぶれる
中学校1年生の英語の成績で5段階評価の中1×(バツ)という限りなく0に近い1という前代未聞の数字をたたきだす
全教科、全生徒で知る限り1×を取ったのはTAA一人
部活はバスケ部に入部
一応3年間続けるが公式戦出場回数1回、得点2点という凄まじい成績を残す
新人戦がTAAにとって最終戦という珍事
父に部屋のドアをノックなしに開けられた時、「勝手に開けんなよ」と文句をつけた所、口の悪さを怒られ逆に馬乗りになってぶっ飛ばされる
内申点欲しさで立候補が少ない事をいい事に2期、生徒会に入る
1期目は自分でも読めない字を書くのに書記(国語成績1)
2期目は算数もままならないのに会計(数学成績1)
結局実務を何もしないまま終える
それでもどこにもこのままだと高校に行けない事を知り、中学校3年生になりBe動詞から勉強を始める
ここで奇跡がおきる、もともと0の状態からの勉強だったので全体の偏差値を一年で20近くあげる(元がひどい為)
特に英語は最低だったのが一番良くなる
そのおかげか先生から高校の単願推薦の話を受け、どこの高校かも知らないのにその場で考えもせず「そこにします」
と即答し驚かれる
後から男子校と知り悔やむ
この時まだ美容師になりたいとは思っていない
ここでもパッとせず卒業
高校生

(実家にて。高校の友達がいない為制服の写真が出てこず)
友達の作り方が分からず3年間でできた友達が1人
バスケ部に入部も2ヶ月で辞める
中学校の最後の成績の貯金もあり入学当初はクラスで9位の学力だった
母親から「先生から初めて褒められた」と喜ばれる
が、余裕をかまし完全にサボり1年持たずに定位置に返り咲く
後に注意進級(特別進級のいっこ手前)という不名誉な進級になり母親呼び出し
母からは「何で私が早く起きなきゃいけないのよ」
と、注意進級の事よりも早く起こさせた事に苛立つ母を見て困惑
2年の夏、1学期の成績で赤点11個を記録
趣味は麻雀、ゲーム
後はコンビ二でバイトというやばい方向に進み始める
スケートボードをやってみたが結局何も出来ず半年後にプッシュ(ただ蹴って進む行為)で大転倒しやめる
スノーボードもやってみるがみんなの使うジャンプ用の山に横から突っ込み崩壊させる
バレンタインの日はスローモーションばりに通学するも3年間ひとつももらえない
高校時代の記憶はほとんどない
いよいよやばいと思って見かねた両親が「イギリスで美容師勉強してみたら」
と勧めてくれたのにあまり感謝もせず行く事を決意
イギリス時代
この頃から名前が
「そうくん」「ター」に二分化する
全部親がお金を出してくれているのに自分でやってる感の中2年半を過ごす
英語語学学校を3ヶ月通った後ヴィダルサスーン,トニー&ガイの学校に通う

この時、今のビジネスパートナーKEIZOと出会う
海外がそうさせるのか性格が陰からオープンになり急に友達が出来だす

(ロンドンのアパートにて、何かがはじけているが少し顔はイラつく)
この頃からお酒を覚える
髪を切り喜んでもらい初めて美容師の良さに気が付く
日本にいた時よりも何故か日本人の友達が増える
緑のアフロ、紫モヒカンなど時代を無視した頭を繰り返し
「なんで彼女できないんだろう」と本気で悩む

(緑アフロ時代TAA20才)
本帰国時ヒースロー空港に30人近い友達が見送りにきてくれて空港で泣き崩れる
TAA21才
帰国後、これからくる未来にワクワクする様になる
そして何より親への感謝、友達や周りの人への感謝を覚える・・・
・・・・・とまあ長い文になってしまいました(笑)
この後は昔からいらしているお客様は知っている通りです。
いや今思えばほんと自分大丈夫かな?っと思う学生時代でした(笑)
お客様にはたまに話して信じてもらえませんが全てノンフィクションです。
そんな自分でも今はこんなに楽しく生きさせて頂いています。
本当に感謝です。
もし周りに暗い人がいたらこの文読ませてあげて下さい(笑)
こんなんでも意外と楽しく生きていけるって!
これからもこんな僕ですがよろしくお願いいたします!
TAA
